「フォトグラファーには使命があるんです」と話してくれたのは、押村武さん58歳。50代を迎えてからプロのフォトグラファーに挑戦したという押村さんだが、彼の人生を大きく動かした出来事は何だったのか。フォトグラファーとして強い使命を感じている押村さんに、カメラを構え続ける理由を聞いた。
「我が子の写真を上手に撮りたい‼︎」息子との絆を深めた思い出のカメラ
振り返ると小学生の頃でしょうか。
当時は、今のようにスクールフォトが当たり前の時代ではないので、遠足などのイベントがあると、子どもたちで撮影係を決めて写真を撮るような時代でした。
私は写真を撮られることが嫌いな子どもだったので、写真係をすれば写らなくてもいいという安易な考えからですが、写真係をすることが多かったです。あの頃の家庭用のカメラといえば、オートフォーカスも無いカメラで、父のカメラを借りて写真係をしていました。 ファインダーを覗くとレベルメーターがあって、父からは「メーターが真ん中に来るように調整すれば撮れる」とだけ教わって、シャッタースピードのことも絞りのことも分からずに無我夢中に触っていました。それが楽しい思い出として残っています。その後、時代は変わって、使い捨てのインスタントカメラやデジカメに出会ってカメラを身近に楽しんでいましたが、子どもが生まれてからは、父親として家族の写真を撮ってきました。本当に、その程度のことで、まさかフォトグラファーになるとは思っていませんでした。
大人になって印刷会社に就職して、その後は建築業に転職をして、自分で会社を作りました。お家にできた傷などを直す補修屋です。この仕事は今でも時々していますが、気づいたら、メインはフォトグラファーになってしまいました。
本格的なカメラに興味を持ったのは、息子が保育園に通っていた頃です。当時はオート機能の付いているデジカメを使っていました。保育園の運動会でいつものようにカメラを構えて撮っていましたが、大きなホールを貸し切った運動会だったので、走っている息子を撮っても米粒サイズしか撮れず、もどかしさを感じていたんです。
すると、後ろの席で、大きな望遠レンズのついたカメラを持ったおじいちゃんがパシャパシャと写真を撮っているではありませんか。その方が撮影した写真を確認していたので、こっそりカメラの画面を覗いてみたら、ものすごくアップでいい表情の写真が写っていたんです。もうびっくりで、「これかーーーーー!」と思いました。
そのあと、すぐに初心者用の一眼レフカメラを中古で購入しました。レンズもセットになっているようなものです。これは面白いと思うようになったので、思い切って、もう少し高性能の新品を購入してみることにしました。
そしたら、そこにカメラスクールの体験講座の応募券が入っていたんです。応募してみたら、見事当選。
3時間ほどの体験講座を受けたら、目から鱗で、今まで疑問に思っていたことがたくさん解決したんです。これは本格的にカメラスクールに通ってみたいと思いました。
そこから1年間、基礎講座を受講し、その後は5年ほど上級講座を受講しました。この経験が本格的なカメラへの道へつながったと思います。そうなんです。当時保育園児だった息子も今では高校生です。
小さな頃は一緒にカメラを触って遊んでいたんですよ。親子の良い時間になりました。私の通うカメラ講座について来て、先生に教えてもらいながら一人で撮影していたこともあります。
思い出といえば、息子が5歳の頃です。家族で海水浴に出掛けた時に、早朝の綺麗な空を撮ろうとカメラを構えていたら、息子が勝手に機材バックの中からサブ機を取り出して、シャッターを切っていたんです。そこには私が写っていました。浜辺に立って朝焼けの空を撮る私の姿。偶然にも広角レンズが付いていたので、なんともドラマチックな写真が撮れていて「これはなかなかやるな」と思いました。しばらく、その写真がお気に入りで、大事にしていました。
今は高校生になって、照れもあるのかもしれないですが、一緒に写真を撮るような時間も無くなってしまって…またいつか一緒に撮れたら良いなと思います。
スポーツは動いてこそ魅力あり 私はその瞬間を撮る‼︎
フォトグラファーデビューをしたのは、8年ほど前のことです。上級講座3年目くらいの時に、受講生仲間から「ストックフォト」のことを教えてもらいました。イメージ写真とかに使われるような写真のことです。自分の撮った写真が採用されて、評価を受けてお金をいただけることが嬉しくなりました。
そうやって写真を撮り始めると、撮影してほしいと声をかけてもらう機会が増えました。また、スポーツフォトの撮影会社からバレーボールやバスケットボール、野球などの試合を撮影させてもらう機会も増えてきて、スポーツフォトの世界にも興味を持つようになりました。私は中学生の頃からバレーボールをしてきました。今も小学校でコーチをしています。スポーツをしている時の子どもたちの表情が輝いていて、その瞬間を撮ることがやりがいになっています。
子どもたちの輝いている瞬間というのは、色々なシーンで撮ることができます。たとえその表情が崩れていたとしても、必死にボールを追いかけている表情やグッと相手を見た時の表情など、その瞬間瞬間に魅力があるので、そういった表情が撮れると、良い写真が撮れたなと思います。子どもたちが思い出を語るとき 写真は「想像力」を掻き立てる
こういった活動を始めると、アルバムの会社などから直接ご連絡いただけるようになって、リンクエイジからもお声かけしていただきました。スポーツ以外にも、子どもたちのキラキラした表情を撮れるチャンスがあるのならやってみようと思いました。
アルバム写真のお手伝いで、小学校から高校までの部活の大会の撮影を任されることもありますが、スポーツフォトグラファーの経験も存分に活かせています‼︎
幼稚園や保育園の子どもたちとの接点が無かったので不安もありましたが、偶然にも妻が幼稚園教諭なのでアドバイスをもらうこともありました。妻からのアドバイスは「保育の邪魔をしないこと」ということに一貫していて、保育する側の立場から見たフォトグラファーの立ち位置とその距離感について話がありました。保育の日常を撮影するわけですから、保育の邪魔をしてしまっては意味がありません。このことを肝に銘じながら、楽しく現場に通っています。カメラ目線の写真ならお家でも撮れますから、保護者では撮れない写真、先生では撮れない自然体の写真を撮りたいと思っています。
そのために、撮影する子どもたちの年齢ごとに接し方を変えています。小さな子どもたちだと、フォトグラファーが好かれすぎてもカメラ目線の写真が増えてしまうので難しいところで…
カメラが気になると、保育に集中できなかったり、先生の方を向かなかったりして、自然体の写真が撮れないんです。小さな子どもたちほど、保育の邪魔にならないように接し方に気をつけています。
小学生になると成長と共に少しずつ変化があって、フォトグラファーがいても活動に集中できるようになるので、随分と雰囲気が変わっています。中高生になると、逆に仲良くなった方が良い写真が撮れたりして…子どもたちの成長によって接し方を変えていくと、自然体の写真が撮れるようになります。
リンクエイジのお仕事は、継続して同じ園や学校に行けるので、接する子どもたちのことが良く分かるようになるのも良いなと思っていて、この子はフォトグラファーとの距離感が近くなりがちだなとか、配慮すべきことがわかってくるので撮影の時にも活かされています。
例えば、撮られるのが苦手なのかな?と思う子には、ストレートに質問しています。「撮られるの嫌い?」と聞くと、素直に「うん」と返ってくることもあるので、そういった子には、「撮らないから大丈夫だよ」と安心してもらってから、近くで撮らないようにして望遠レンズで遠くから気づかれないように撮ったりしています。
写真は見る人の「想像力」を掻き立てると思うんです。
例えば、運動会のかけっこの写真があるとします。たった一枚の写真でも、「ここまでは先頭で走っていたんだよ」とか「このあと転んじゃって大泣きしたんだよ」とか、その時の物語を語りたくなるのが写真の良いところだなと思っています。写真を見る人たちがその前後の物語を想像しながら見るので、一枚の写真から話題が広がって、見る人みんなにとって大事な一枚になるんです。動画の記録も素晴らしいけれど、映像に全てが映っているから、先頭を走っていたことも転んで泣いたことも簡単に伝わります。それが動画の良いところですが、言葉がなくても伝わるがゆえに、掻き立てられる想像力という点においては、写真と映像では大きな違いがあるのではないでしょうか。
そういう意味でも、スクールフォトというのは、とても大切な存在で、その一枚があれば何年経っても当時の記憶を辿りながら思い出して楽しむことができると思います。だからこそ、その一瞬を大事に撮影したいなと思っています。「移り変わるものを記録に残す」フォトグラファーの使命を感じて
58歳になって、年齢と共に動けなくなってきたというのも事実です。
例えば、バレーボールについては、選手として動くには体力の限界もあるので、年齢と共に次のステージへ進みたいと思って、日本バレーボール協会公認の審判員の資格を取ったり、日本スポーツ協会公認のバレーボールコーチの資格を取ったりして、自分が動けなくなった時にもバレーボールに関われるような準備をしてきました。でも、カメラについては、生涯撮り続けることができると思うんです。
大好きなスポーツを撮ることも、子どもたちを撮ることも、私自身が「元気」をもらえるので、これからも続けていきたいなと思います。
「移り変わるものを記録に残す」これは、写真を撮る人の使命だと、通っていたカメラ講座の先生に教わったことが心に残っています。
当時、撮影実習のために度々訪れていたのが、市内にある古い街並み。昔ながらの商店街の奥に古い街並みがあって、雰囲気の良い素敵なところなんですが、行くたびに古いものが取り壊されて、姿形が変わっていく様子を目の当たりにしていました。時代とともに、街並みは変わるものだけど、それを記録として残していくということが、プロ・アマチュアを問わず写真に携わる者の使命なんじゃないかと先生はおっしゃいました。
スクールフォトを撮り始めて、その言葉の重みを実感しているところです。子どもたちの成長は目を見張るものがあります。日々成長して、どんどん変わっていく子どもたちの様子を記録として残す使命を感じていて、その使命を果たすことが私にとっての「愛」なのかもしれないなと思っています。
これからも、その使命を果たすために写真を撮り続けたいと思っています。
父から譲り受けた小さなカメラを構えていた少年は、大人になっていつしか一眼レフを構えていた。
カメラと真摯に向き合い、学び続けてきた押村さん。その姿勢と熱意に彼の誠実な生き方を知ることができる。
50歳を迎えてからデビューしたフォトグラファーの世界の中で、その使命を全うすべく、人々の記憶に残る写真を撮り続けている。