STORY

スクールフォトだけを撮り続けて20年。人生のドン底に出会った“天職”を語る

優しい笑顔でカメラを持つのは、スクールフォトグラファー 久保直彦さん、63歳。

久保さんには、その柔らかい表情からは全く想像のつかない、苦難の時代があった。抜け出せない暗闇の中で「スクールフォトグラファー」という名の天職に出会い、それから20年間、子ども達だけを撮り続けている。

スクールフォト一筋の久保さんが、フォトグラファーとして大切にしていることを教えてくれた。

「カメラに興味なし︎」⁉︎
“日雇い”に“工場勤務”、家族のために働いていた頃

  

Q久保さんがカメラと出会ったきっかけを教えてください。

元々、カメラに興味がない人間だったんです。だから、カメラの専門学校も出ていません。カメラに出会うまでは、普通に大学を卒業して、就職後も転職をいくつか繰り返していました。もちろん、結婚して家族を持つようになり、普通の“お父さん”として娘たちの写真を撮っていましたが、その程度です。まさか、自分がスクールフォトグラファーになる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした。  

Qカメラに興味がなかったなんて驚きです‼︎そこから“フォトグラファー”に転身したのはなぜですか?

転機が訪れたのは、40歳になった頃です。当時、妻の実家が花屋を営んでいたので、義父が亡くなったことをきっかけに花屋を手伝うことになりました。

ただ、そう簡単にうまくいかないのが人生です。育ち盛りの娘が2人おり、花屋だけでは食べていけない現実もあり、私は外で仕事をすることにしました。でも当時の私は40代、年齢的に正社員で雇用してくれる会社と出会えないまま、アルバイト生活をしていました。俗に言う、“日雇い”のような仕事もしていましたね。このままではいけないと、やっとの思いで見つけた仕事も劣悪な環境でした。工業用の油のミストが舞うような工場での勤務で、一日中働いていると、体から油の臭いが抜けないんです。

大学も卒業し、結婚して家族にも恵まれ、ただただ普通の幸せが続くと思っていましたが、こんなにも人生が変わってしまうのかと感じていました。家族のために働いていたとはいえ、とても辛い毎日でした。

“人生のどん底”に訪れた奇跡の瞬間

  

Q今の久保さんの様子からは全く想像のつかない状況です。そこからどのようにカメラと出会ったのですか?

「これ以上はもう無理かもしれない…」そう思っていたある日のことです。工場から駅までの帰り道、ドラマチックに雨が降ってきました。傘も無くて、本当にずぶ濡れになりました。どこからどう見ても、“どん底”。駅では求人誌を手に取るのが習慣になっていました。その日もずぶ濡れになりながら、いつもの様に求人誌を開きました。そこに奇跡のような“出会い”がありました。

開いたページに“フォトグラファー助手募集”という写真館の求人が載っていたんです。

フォトグラファーという仕事は、自分には思いつきもしない職種でしたから、目に止まって“珍しい”という気持ちもありました。でも、それと同時に、「助手なら自分にもできるかもしれない‼︎」という思いも湧いてきたので、思い切って応募することにしたんです。

Q暗闇の中で見つけた“希望の光”。それが“フォトグラファーの世界”へつながっていたんですね。フォトグラファー助手のお仕事はどうでしたか?

「働き始めたのは、卒業アルバムなどを作っている写真館でした。小さな写真館だったので、社員と言っても社長と私の2名だけだったんですよ。 年齢も40歳を超えていましたから、カメラを学び始める年齢としては、かなり遅い。カメラの知識が全くない私は、不安も大きかったと思います。“助手”というのも名ばかりで、実際は、撮影以外にもアルバムのレイアウトや契約フォトグラファーの手配、経理に至るまでなんでもやりました。様々な仕事に挑戦できたことは、とても面白い経験でした。

仰天‼︎カメラと出会って1ヶ月でデビュー‼︎
私をフォトグラファーにしてくれた「3日間の修学旅行」

Q“助手”として裏方を任されていた久保さんが、“フォトグラファー”として任されるまでのことを教えてください。

それがね、働き始めてたった1ヶ月でデビューしたんです。突然、社長から「中学校の修学旅行に行ってきてくれる?」と声を掛けられ、詳細を確認すると「3日間、沖縄の修学旅行撮影」だったのです。とにかく驚きました。まだ1ヶ月しか働いていない自分に、どんな写真が撮れるのだろうと心配でなりませんでした。

働き始めて1ヶ月間、スクール撮影の経験は、社長の助手として“幼稚園の遠足”に行った程度。とても自信などありませんでした。でも社長に言われたんです。「久保くん、今のカメラはね、押せば写るから心配しなくてもいいんだよ」と。確かに、押せば写る、それがカメラです。でも、当時の私は、アングルも何も分からないままの素人です。社長の言葉だけを信じて、修学旅行の撮影に行くことになりました。それがフォトグラファーとしてのスタートでした。

Q1ヶ月でデビューとは驚きです‼︎

自分でも驚くほど、楽しかったです。初日から撮影の面白さに夢中になりました。旅行先が沖縄だったので、関西空港から撮影が始まりました。集合して間もないのに、子ども達がいい顔をしているんです。カメラを向けるとね、「カメラマンさ〜ん!!!!!」と満面の笑みで手を振ってくれる。それが嬉しくて。その時はじめて、自分が『フォトグラファー』であることに喜びを感じました。

とにかくずっと笑顔でいられた。ニコニコしながら、無我夢中でシャッターを押し続けました。今思うと、難しいことを考える暇がなかったことが良かったのかなとも思います。タイミングを合わせようとせず、目の前にある“一瞬”を撮り続けました。

Qフォトグラファーとしての存在が受け入れられた瞬間だったんですね。わくわくする子ども達の様子と、それを笑顔で撮り続ける久保さんの様子が目に浮かびます。

空港でワクワクしていたのは、子ども達だけではなく私も同じだったんでしょうね。私自身、沖縄が大好きだったので、「沖縄に仕事で行けるぞ〜‼︎」という前向きな気持ちがあったのも良かったのだと思います。

私にとって沖縄は、学生時代の思い出の場所です。学生の頃、山登りや自然を楽しむワンダーフォーゲル部に所属していたので、毎年春になると沖縄で合宿をしていました。

大好きな沖縄でフォトグラファーとして記念すべき初仕事‼︎そういうワクワクした気持ちも良い影響を与えていたんだと思います。

子ども達の「一瞬」を切り取ることだけに捧げた20年間

  

Qスクールフォト以外の分野の撮影に挑戦してみようと思うことはありませんでしたか?

それもないんです。今までウエディングの撮影もコマーシャルの撮影もしたことがありません。高校の時の友人が北新地でフグ料理店を営んでいて、HP用に料理写真は時々撮らせてもらっていますが、デビューして20年間、スクールフォト一筋です。

スクールフォトは、本当に難しい分野だと思っています。ちょっとの瞬間を逃せないのがスクールフォトなんです。「少し右に寄せようかな」とか、色んなことを考えると「一瞬止まる」という感じが、今でもあります。でも、その「一瞬」のタイミングを逃してはいけない。

それでいて、大勢の子ども達をまんべんなく撮影して、かつ保護者が良いと思う写真を撮るという使命がありますから、なかなかハードルの高い分野だと思うんです。私はスクールフォトほど面白い分野はないなと思っています。

Q「一瞬」のために捧げてきた20年間ですね。撮影をする時に大切にしていることはありますか?

スクール撮影というのは、刹那的で、その日だけの出会いになることだってあります。だからこそ、先生とも子ども達とも、その1日を良好な関係で乗り越えることが大切なのです。 そのために、私は「笑顔・対話・よく見る」この3つを大切にしています。

「はじめまして」の子ども達に対して、こちらが不安な顔をしていたら、絶対に笑ってくれませんよね。フォトグラファーの「笑顔」は、子ども達の笑顔を引き出し、安心感をもたらすために欠かせません。当たり前のことかもしれませんが、笑顔で挨拶をすることも、大切な「対話」ですし、コミュニケーションのスタートとして大事な役割を果たすと思っています。そして、先生や子ども達、それぞれの態度を「よく見る」のです。そうすると、それぞれに必要な声掛けや接し方が自ずと分かってきます。そうすることが、一瞬を撮り逃さないことに繋がると考えています。

でもね、「慣れすぎない」ということも大切なんです。フォトグラファーに慣れて心を開いてくれるのは嬉しいことですが、カメラ目線ばかりの写真だけがいい写真とは限りません。それから、慣れた撮影先で、自分は何度も経験している行事の撮影であったとしても、子ども達にとっては、その行事、その一瞬一瞬が「はじめて」ですから、こちらも同じ気持ちで撮ってあげないと良い写真は撮れないと思っています。だからこそ、「慣れすぎない」。いつでも「はじめまして」の気持ちを忘れないようにしています。 

Q全ては一瞬を撮り逃さないための“こだわり”ですね。スクールフォトグラファーの仕事が20年間も続いたのはどうしてだと思いますか?

スクールフォトの仕事は、撮る対象がどんどん変わりますから、同じ仕事というのが二度とないんです。毎日の撮影が「はじめて」の連続だということも、性に合っていたのかもしれません。ですから、フォトグラファーとして、苦労を感じたこともありません。

撮影だけの仕事だったら、苦労を感じることもあったのかもしれませんが、写真館では裏方の仕事もたくさんありましたし、それが逆に良かったのでしょうね。その経験が独立をした今にも活かされています。

生涯現役‼︎

  

Q久保さんにとって、まさに“天職”だったんですね。プロとしてのこだわりと、子ども達への優しさを感じました。リンクエイジには「全ての愛を力に変える。」というミッションがありますが、久保さんにとって「愛」とは何でしょうか。

「愛」を言葉にするなら「思いやり」でしょうか。「思いやり」の気持ちが伝わるためには、相手のことを思った言動が必要で、それを力に変えていくというのは、とてもパワーがいると思います。こちらの思いが枯渇してしまったら「力」には変えられませんから、いつでも「思いやり」を持っていられるように、バランスが必要なのかなと思います。

Q久保さんの撮る写真には、子ども達への「思いやり」、つまり「愛」が込められているんだなと思いました。久保さんは63歳。これからどんな挑戦を考えていますか?

とにかく、体が動き続ける限り、スクールフォトを撮りたいです‼︎

そして、自分の後に続いてくれる後進を育てていくことにも力を入れていきたいと思っています。

“山”や“花”など、動かない被写体はこれからも撮れるチャンスがあると思いますから、それは、もう少し歳をとってからのお楽しみにしておこうと思います。

苦難の時代を乗り越えたからこそ溢れ出る「優しさ」とフォトグラファーとしての「揺るぎない意志」。ファインダーを覗くその眼差しは、子ども達への「思いやり」に満ちている。人生のどん底で出会ったフォトグラファーという奇跡の仕事は、彼が天から授かった“天職”といっても過言ではないだろう。

Interviewee by Naohiko Kubo
mail : s_island2079@yahoo.co.jp

Interview, Text by Miya Ando
miya_ando

Photo by Natsumi Koganeya,Tomoshi Hasegawa