STORY

心を込めて言葉を紡ぐ、インタビュアーの真価と心得

インタビュアー&ライター 安藤 美耶 リンクエイジのストーリーページに欠かせないのが、インタビュアー&ライターという仕事だ。話すことも聞くことも大好きだと話す彼女は、どんな人生を歩んできたのだろうか。 世界に一つだけの「人生」という物語を聞く仕事に魅力を感じているという彼女に、インタビュアーとしての真価と心得を聞いた。

よく笑って泣いて大はしゃぎ‼︎
子どもの頃のアルバムには色々な表情が残っています

Q安藤さんは、どんな子どもだったんですか?

子ども頃の思い出って、アルバムを見返すと鮮明に蘇ってくるので不思議ですよね。「私はこういう子どもでした」と言葉でお伝えするよりも、写真を見ていただきたいくらい、色々な表情を持った子ども時代だったと思います。

よく笑って大はしゃぎする元気な子でしたが、4歳上の姉の後を追いかけて、一生懸命背伸びをしながら、うまくいかないこともしばしば。悔しくて泣いたり怒ったりしていた記憶もあります。一方で、真面目すぎて、「夜に笛を吹くと蛇が来るよ」みたいな迷信をすっかり信じて、あれやこれや心配になることも多かったです。

父も母も共働きだったので、一緒に住んでいた祖父母には愛情を注いで育ててもらいました。ですから、小さな頃は、少しでも祖父母と一緒にいたくて、わがままも言いました。祖母と一緒にテレビのワイドショーを見たいからと、幼稚園をサボることもあったんです。ワイドショーが終わると、祖母とこっそり幼稚園に行って、出席シールだけ貼って帰るなんてことも。それがとても嬉しかったんです。当時の先生にはご迷惑をおかけしたなと反省しています。今の幼稚園児や保育園児に、こんな悪い子はいませんよね…(笑)

Q幼稚園のサボり方がプロですね(笑)小学生や中学生ではどんなことをしていましたか?

小学生になると、なんでも自分でやりたいと思ったことに挑戦していました。
小学生の頃は、ブラスバンドに入っていて、ユーフォニウムという金管楽器を担当していました。毎日、朝練して放課後も練習して、休みの日も練習して、地元のお祭りで演奏したり、コンクールを目指したりする生活で、とても充実していました。

何十人といる仲間と一緒に一つの音楽を作り上げるわけですから、子どもながらに、互いを気にかけたり、受け入れあったりするんです。そういう気持ちを学びながら、一つの音楽を完成させた時の達成感は今でも忘れられないですね。

中学校・高校は、地元の女子校に進学しました。カトリック教育の学校だったので、聖歌隊というクラブ活動に所属して、ハンドベルや合唱などを頑張りました。福祉施設で演奏させていただく機会も多く、自分達の演奏で目の前の人が笑顔になることが嬉しくて、この頃から、「人に喜ばれることをしたい」という思いを抱くようになりました。

ディズニーランドで働いて教わった大切なこと

Q色々なことに挑戦した子ども時代だったんですね。学生時代に夢中になっていたものありますか?

高校卒業後は、東京の大学へ進学して上京しました。「人に喜ばれることをしたい」という思いが強くなり、大学生の頃は、東京ディズニーリゾートでアルバイトをしました。いわゆる、ディズニーキャストというやつです。今でも天職だったのかもしれないと思えるほど、やりがいもあったし、楽しい仕事でしたね。

テーマパークには色々な思いを抱えたゲストが訪れるんです。初めて訪れたワクワクを持った人もいれば、これが最後になるかもしれないと思い出作りに来る方もいる。どんな背景があったとしても、目の前にいるゲストには笑顔でいてほしいと、そんな思いで働いていました。だからこそ、笑顔になる瞬間が特別で、かけがえのない瞬間であることを知っています。

今の私は、結婚をして、子どもにも恵まれて、ただただ日常を繰り返す毎日ですが、そんな日常こそ大切な日々の積み重ねで、家族も友達も、みんな笑顔でいてほしいと心から思えているのは、この経験があるからかもしれません。

Q大学卒業後はどんな仕事をしていましたか?

大学卒業後は、大手の人材紹介会社に就職しました。私にとって、社会というのは未知の世界でしたし、何より働くということが未知の世界でした。生涯現役と言われる時代の中で、働く人が幸せでいれば、会社も社会も幸せになれると考えたんです。でも、転職希望者の方とお話していくうちに、家庭環境や幼少期の頃から持った価値観などが、人の人生に大きく影響しているんだなと感じるようになりました。

三つ子の魂百までという言葉もありますが、幼少期の環境や経験が大人になってどれだけの影響を与えるかということなんです。

その頃から、幼児教育・保育の大切を実感するようになりました。私の母は、私立保育園の園長をしています。幼稚園教諭の経験を経て、自らの教育信念を掲げて保育園を運営しているんです。なんだか、とても、母の仕事が偉大に見えてきたんです。

時はリーマンショックの時代になり、社会は不景気そのもの。次々と会社を去る仲間を見送りながら、私も将来について考えるタイミングが来ているなと感じたので、地元に帰って、母の仕事を手伝いながら、幼児教育・保育の世界でお役に立てることがないかと模索するようになりました。

「美耶にやってほしい仕事があってね…」
おばあちゃんのお願いを聞いたら人生が変わった

Qそこから、なぜライターになったのですか?

そうなんです‼︎不思議ですよね。

地元に帰って、保育園を手伝い始めて少し経った頃、祖母が私に言ったんです。「どうしてもこの仕事をしてほしい」と。祖母が私に手を合わせてお願いをしたのは、この時以外に見たことがありません。その仕事というのが、地元のNHKのニュースキャスターの仕事でした。祖母もギリギリまで考えたと思うんですが、私に話をしに来たのが締め切りの2日前くらいだったんですよ。大慌てで書類の準備をして、オーディションに応募しました。

地方局のニュースキャスターは、地元の魅力を伝えるべく、県内を駆け巡るんです。ニュースを読むだけでなく、取材をして記事を書いたり、番組を作ったり、その仕事が多岐にわたります。私なんかが受かる仕事ではないと思っていましたが、地元の人のために、その魅力を発信するために奮闘して、みんなを笑顔にできるならと覚悟を決めて応募したのを覚えています。

結果的に、伝える仕事の魅力を知ったのは、ニュースキャスターとして働いた経験があったからなんです。たくさんの取材をして、自分の言葉で伝えることにやりがいを感じていましたから、出産を機に退職してからも、いつかまた「自分の言葉で伝える仕事」をしたいなと考えていました。

次女が幼稚園に入ったことで子育てに少し余裕が出てきたので、ライターとして歩み始めたというところです。

Qインタビューをまとめたり、記事を書いたりする時に苦労することはありますか?

インタビューって最高に楽しい仕事だと思いませんか?NHK時代から数えると、たくさんの方にお話を伺ってきましたが、これほどありがたい仕事はありません。

自分の知らない世界、人生、価値観を持つ人に、色々な質問をすることができるんです。その出会いが貴重すぎて、全てが勉強になりますし、刺激にもなります。

限られた時間の中で、人生観など、その方の本質的なところを聞き出すようなお話をしますから、コミュニケーションの難しさを感じることもありますが、逆に、その人にしかない話を聞き出せた時にはやりがいを感じます。

もちろん言葉を紡ぐ上で、語彙力が足りないなとか、技術面で苦労することもありますが、私は、難しい表現をするよりも、感じたことをありのままに表現するように心がけています。

保育園のなんでも屋さん×フリーライター
でも本業はママでいたい

Q保育園の仕事もされていますが、どんな仕事をしていますか?

実家の保育園では、園長補佐という名のなんでも屋さんをしています。基本的には園長である母のサポート業務がメインですが、職員と協力して、保育園のブランディングや広報活動、人事教育の分野で仕事をしています。

子どもたちや保護者の皆さん、そして、働く先生のために何ができるのか考える時間が大好きです。

Q園長補佐の仕事もライターの仕事も‼︎となると、同時に色々な仕事を抱えますよね。楽しいこと苦しいことはありますか?

保育園やリンクエイジさんのお仕事以外にもライター業をさせてもらっているので、毎日何かしらの文章を書いています。記事内容は毎回違いますし、飽きないというのが面白い仕事だなと思います。

完全にフリーランスですから、誰かに時間を管理されるわけでもなく、自由に時間を使えるというのも魅力ですね。
子どもたちと過ごす時間は何よりも大切にしたいと考えているので、仕事をする時間と、家族のための時間にメリハリをつけるように心がけています。

世界に1人だけ、「あなた」という人生の物語を
心を込めて、私の言葉で紡ぐ喜び

Qリンクエイジには「全ての愛を力に変える。」というミッションがありますが、安藤さんにとって「愛」とはなんですか?

この質問は、皆さんにしていますが、自分に問われると難しい質問だなと感じますね‼︎

アナウンサー時代「カメラの向こうに、大好きな家族がいると思って話をしてごらん。そうしたら、きっと伝わるよ。」と先輩からアドバイスをもらったことがあるんです。これは今でも大切にしていることです。話すことも、書くことも、家族や子どもたちに伝わるように、優しい言葉で、心を込めて伝えたいと思っています。

もちろん、聞き手としてインタビューする時も同じです。話をしてくださる方の人生に敬意を持つことで、心を込めて聞くことができますよね。世界に1つだけの特別な人生のお話を聞かせていただくわけですから、大事に言葉を紡がないといけません。
愛を持って仕事をするって、そういうことかなと感じています。

Qこれからの目標や夢を教えてください

一つの仕事を長く貫いてこられた方と比べると、あちこち寄り道をしたキャリアだったかもしれませんが、ようやく自分の生きていく道を見つけたように思います。
旦那さんからも「一体、何を目指しているの?」なんて聞かれることもありますが、「一つに決めないといけないかな?」なんて言い返しているんです(笑)

母親である私、妻である私、ライターである私、園長補佐である私、どの私も本物の私です。一つだけ共通している信念があるとすれば、「誰かの笑顔と幸せのために私がいる」ということ。それが私の幸せなのです。
これからも、園長補佐として、ライターとして、母として、どんな私であろうと、その信念を貫いていきたいなと思います。

Interview, Text by Miya Ando
miya_ando

Interview by Tatsuya Ohno

location Acchi Kocca

Photo by Satoshi Nakajima

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